「佐渡島の金山」の世界遺産登録
7月27日、インド・ニューデリーで開催された第46回世界遺産委員会において、「佐渡島の金山」が、我が国26件目(文化遺産としては21件目)の世界遺産に登録されました。以下では、新たに世界遺産となった「佐渡島の金山」について、その世界遺産としての価値について紹介します。
「佐渡島の金山」について
豊かな金鉱山の島である佐渡島では、16世紀末から19世紀半ばの約250年にわたって、伝統的な手工業を深化させることで高品質な金(最高純度99.54%)の大量生産を可能にした金生産システムが確立しました。
当時、欧米では機械化された鉱山開発が行われていましたが、徳川幕府の鎖国政策によって海外との技術交流が限られる中「佐渡島の金山」は、これらとは異なるシステムとして発展を遂げ、17世紀には世界最高レベルの質・量の金生産を達成しました。「佐渡島の金山」は、非機械動力による金生産の物証(遺構など)が良好に残っている世界でも類を見ない鉱山遺跡です。
構成資産の概要
「佐渡島の金山」は2つのタイプの異なる金鉱山から構成されます。
❶ 西三川砂金山の“目に見える金”である「砂金」
西三川砂金山は、12世紀に成立した『今昔物語集』に登場する佐渡島最古の金鉱山です。16世紀末に大規模な採掘が開始され、「大流し」という砂金を含む地層を掘り崩し水の力を利用して砂金を採取する特徴的な手法が用いられました。現地にはこの「大流し」の痕跡が良好な形で残されています。
❷ 相川鶴子金銀山の「金鉱石」に含まれる“目に見えない金”
16世紀中ごろに発見された鶴子銀山は、「露頭掘り」「ひ追い掘り」「坑道掘り」といった鉱脈鉱床に応じた様々な採掘法、「灰吹法」といった製錬技術が整備されたことで生産技術の基盤が確立されました。
これらの生産技術は、発展を遂げつつ後の相川金銀山での金生産に引き継がれていきます。
1601(慶長6)年に本格的な開発が始まった相川金銀山は、国内最大級の金鉱脈が密集しており、道遊の割戸に代表されるような大規模な鉱山開発が進みました。また、相川金銀山の金鉱脈は、金に銀が多く含まれる「エレクトラム鉱」であったため、選鉱、製錬・精錬によって金と銀を分離する複雑な工程が発展しました。
貨幣の製造を認められた国内唯一の鉱山として高品質な金を製造するため、技術の深化と生産環境改善に幕府は投資を続けました。さらに、徳川幕府による佐渡島の金山の管理・運営の拠点として佐渡奉行所が置かれ、奉行所と鉱山を結ぶメインストリートに鉱山町が整備された結果、人口は最大5万人とも言われる大規模な町が誕生しました。
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