災害時の「学び」を守る 大規模災害にいかに備え対応するか
地震や津波、豪雨・台風や洪水。いつでもどこにでも起こり得る大規模災害に際し、どのように行動し、誰が何をすれば、また、組織を超えてどのように連携すれば、被災した児童生徒たちの学習を継続させることができるのでしょうか。これまで通りの日常、学校活動を取り戻すために、何が必要なのでしょうか。
災害時に文部科学省は、学校施設の復旧に向けた技術職員の派遣や、被災した児童生徒の学習指導や心のケアのため教職員やスクールカウンセラー等の被災地支援人材に係る派遣調整等を行います。2024年1月1日に発生した能登半島地震で対応を行った文教施設企画・防災部と初等中等教育局の担当者に話を聞きました。
元日の災害発生
―― 能登半島地震の発生から1年が経ちました。災害発生時の状況と、文部科学省がどのように初動対応に当たったのか教えてください。
西村:2024年1月1日16時10分、石川県能登地方を震源とするマグニチュード7.6の能登半島地震が発生しました。最大震度7の石川県をはじめ、甚大な被害が及んだ新潟、富山、福井の4県では、地震発生直後から警察や消防、海上保安庁、自衛隊などによる人命救助を最優先とした大規模な救援活動が始まりました。
同時に、文部科学省でも被災した児童生徒の学習継続支援を目的に、地震発生翌日の1月2日には職員が被災地入りし、6月末までに延べ600人以上が被災した学校の復旧・復興に力を尽くしました。
まず、私たち防災担当が行わなければならなかったことは、被災した学校施設が当面使用できる状態かどうか、二次災害防止の観点で安全性を確認する応急危険度判定を迅速に実施することでした。1月11日から22日にかけて延べ54人の調査団を文部科学省が派遣し、石川県内の公立学校58校の応急危険度判定を行いました。
永友:学校の被災状況を迅速に把握するため、私たちは応急危険度判定団として、被災地のなかでも被害が甚大な奥能登4市町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)に行きました。
文教施設応急危険度判定士の資格をもつ技術職員がチームを組み、能登半島の中ほどの中能登町にある石川県立鹿島少年自然の家を拠点とし、数日ごとに班を分けて対応しました。
私たちの班は、拠点から離れた輪島市や能登町に向け車で向かいましたが、当時はまだ、道路も土砂崩れ等で通行が困難な場所も多々ありました。
倒壊は免れたものの大きく損傷した校舎もあった一方で、印象的だったのは、周辺の木造家屋が倒壊するなか、そこに鉄筋コンクリートの校舎が建っていて、地域住民の避難所となり、避難者を受け入れて、給水車やトイレカーなど様々な支援の拠点として機能している様子でした。
当時の状況では、1日3校、4日で10校程度を判定することが限界でしたが、複数の班を組織して入れ替わりで現地に派遣し、建物の構造体の被害だけでなく、ライフライン、避難所の状況なども聞き取りながら調査を進めました。
西村:被災地4県では住宅家屋の全壊6,437棟、半壊や床上・床下浸水などを含めると計139,668棟に上り、学校施設は国公私立合わせて約1,000校が被害を受けていますが、幸いにして校舎の倒壊はなく、多くの学校で起こっていたのは校舎の外壁や天井の落下、割れた窓ガラスの散乱、地面の亀裂などでした。
阪神・淡路大震災の被害なども踏まえ、文部科学省では、柱や梁など、建物を支える構造体の耐震化を進めており、公立学校施設では、昨年度末までに99.8%完了していました。そのような地道な取り組みも、校舎の倒壊を回避できた背景にありました。
「学び」の継続に向けた、初めての大規模集団避難
―― 学校が避難所として使用される中、児童生徒の学習継続にあたってはどのような対応を行いましたか。
大坪:私たち初等中等教育企画課で、全国の教職員の派遣要請を行いました。
今回の地震では、高校受験を目前にした3年生を含め、中学生の皆さんの学習の場の確保のために集団避難が実施されました。先生方は被災地と避難先で二分されて人手が足りず、またご自身も被災者でいらっしゃるので、大変な状況であったと思います。避難先では、日中の学習指導・生活指導に加えて、夜間の見回り等の対応も含め多くの教職員が必要となりましたので、文部科学省から全国の都道府県・指定都市の教育委員会に応援派遣の依頼を打診しました。
北原:派遣に応じてくださった先生方の生活と安全を保障することも必要でした。希望される方々の宿泊先などを用意できるよう調整しましたが、民宿や大学施設など近隣の皆様からも多大な御協力をいただきました。結果として、55都道府県市と1独立行政法人から290人の教職員が交代で石川県に駆けつけてくれました。そのうちの10人は、教員免許があり実際に教壇に立ったことがある文部科学省の職員です。
なかでも、隣接する福井県は同じ被災地でありながら積極的に関わってくれました。また、とくに印象的だったのは、東日本大震災で被害を受けた福島県や、西日本豪雨で被害を受けた広島県が多くの教職員を派遣してくださったことです。助け合いの温かい気持ちが全国に広がる枠組みの必要性を痛感しました。
大坪:各地の教育委員会からベテランの指導主事の方や現場の先生方、教育委員会職員の方々が多く参加してくれたことにも感謝しています。昼夜をともにする集団避難にあって、生徒の学習指導の面だけでなく、生活指導の面でも経験が豊富なため、被災地の教職員のみならず全国から応援に入ってくれた教職員にとっても頼りになる心強い存在でした。
被災地の教育環境の再開に不可欠な学校支援チームによる支援
―― 被災地における学習指導や教職員も含めた心のケアに当たり、各地の学校支援チームがどのように対応されたか伺います。
西村:学校で避難所が開設された場合、本来的には自治体の防災部局がその運営を担うものですが、災害発生直後は学校の教職員の協力が必要になる場合があります。しかし、避難所運営や学校再開に向けたノウハウのある教職員が必ずしも多くいるわけではありません。
松田:能登半島地震において、応援に駆けつけてくれた学校支援チームは、救援物資の保管や配布、飲料水や食事の確保から仮設トイレの設置方法、避難所生活のルールづくりや役割分担など、災害時の避難所設営・運営に必要な体系的な訓練を受けている方々です。教職員だけでなくスクールカウンセラー資格を持つ養護教員など多様な人材で構成されているため、学校避難所での暫定的な学習指導や心理面のケアにも対応可能です。
地震発生から4日後の1月5日には兵庫県の学校支援チームが到着、続いて三重県、岡山県、熊本県、宮城県、合わせて5県の学校支援チームが1月13日までに被災地入りしました。京都府は学校支援チームではありませんでしたが、個別に教職員やスクールカウンセラーを派遣してくれました。
能登を支えた経験が、これからの災害に備える力に
―― 9月20日には能登地方で豪雨災害もありました。現在の支援状況などはいかがでしょうか。
松田:文教施設企画・防災部の私と、初等中等教育局の職員の2名で、豪雨の後すぐに現地に入り、被害状況を調査したほか、技術面や財政面、特に心のケアの面での支援の必要性を聞き取って現在対応しています。現地の教育長からは「何とか子供たちに避難元の校舎で卒業式を迎えさせてあげたい」というお話も伺いました。
地震発生以来、何度も奥能登を回ってきました。能登で出会う子供たちの笑顔がやりがいでもあります。しかし、子供たちは気丈に振舞っている部分があるとも感じますので、日常に戻るまでしっかり寄り添って支援していこうと強く思います。
―― 今回の震災を機に、文部科学省として取り組んでいることを教えてください。
西村:能登半島地震の対応では、被災地の教職員や教育委員会、また全国の教職員等の方々の尽力に心から敬意を表したいと思います。悲惨な現場をみるたびに私が感じたことは、何より平時からの準備が大切なこと、特に学校という存在を守ることは、児童生徒のみならず、地域で暮らす人々を支える礎になっていることです。
一方で、今回の震災対応では被災地の状況やニーズの把握に時間を要するなど、課題も明らかとなったところです。特に、自治体が派遣する学校支援チームの迅速・機動的な取組等と連携して文部科学省による支援等を行うなど、より機動的で、効果的に被災地の学校を支援できる広域的な枠組みを構築することの重要性を感じました。
そこで、文部科学省では、今後の大規模災害への備えとして、地方公共団体間の支援として行われた学校支援チームの取組との連携・協力や、教職員・スクールカウンセラーの追加派遣の調整など、被災地の子供たちの学びの継続や学校の再開に資する人材派遣の新しい枠組みとして、「被災地学び支援派遣等枠組み」(略称D-EST:Disaster Education Support Team)の構築に向けた検討を進めています。
9月の大雨での対応はその実践の一例でもありますが、これからも様々な知見を加えることで、さらに実践的な取組へと成長させ、全国の被災地を支える力になっていくことを目指しています。
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【コラム】文部科学省職員も教師として派遣 中学生の集団避難
文部科学省は、中学校教員免許状を有し学校現場での指導経験がある職員10名を、石川県の集団避難施設へ派遣しました。現地で学習指導にあたった小久保行政改革推進室長(※当時)が報告します。
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