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次世代マイスターを育成する専門高校の挑戦(埼玉県の事例)

社会システムが急激に変化している今日、高校教育の現場では、実社会に関わる課題を解決しようとする探究的な学びや、地域の産業界等と連携した高度かつ実践的な学びが重視されています。特に産業界で活躍する人材の輩出が期待される専門高校では、産業構造や仕事内容のめまぐるしい変化に応じて教育内容をアップデートしていくことが重要です

専門高校はいかにして産業界の変化を教育内容に取り入れていくとよいのでしょうか。企業から現役の役職者や技術者を採用し一体となって教育課程を刷新・実践している、埼玉県立大宮工業高等学校にその手掛かりを伺いました。

お話を聞いた人。埼玉県立大宮工業高等学校、山崎正義校長先生、野辺純利教頭先生、マイスター・ハイスクール前田稔CEO(AGS株式会社企画管理本部エグゼクティブアドバイザー)、電子機械科池田なな子先生

課題解決能力の育成と最新技術習得のバランス

埼玉県立大宮工業高等学校は来年で創立100年となる歴史と伝統を有する学校です。機械科、電気科、建築科、電子機械科を設置しています。

「地域に育てられてきた学校なので、地域でどのように我々の専門性を活かせるかが大事だと思っています」
そう話してくれたのは山﨑校長先生です。地域の企業から求人票も多く届き、専門高校として地域に貢献している自負があります。

即戦力となる人材育成のためには社会の技術革新のスピードについていく必要がありますが、他方で、技術習得に偏重した授業になってしまうと就職予備校と変わらなくなってしまいます。校長先生は次のように話してくれました。

「高等学校としての役割を考えるにあたり、課題解決能力をどう培うかという学習指導要領の根本に立ち返ることが何より大事であると考えています。工業高校でも、商業科や農業科、普通科でも、高校教育という点で骨の部分は変わらないと思います」

マイスター・ハイスクール事業で指導を行う産業実務家教員

社会の先端技術を取り入れつつ課題解決能力を育成するにあたり、大宮工業高校ではマイスター・ハイスクール事業を活用して、地域の産業界と一体となって教育を実施しています。

民間人材を学校で採用

マイスター・ハイスクールとは、第一線で活躍する企業人・技術者・研究者等の民間人材が学校に入り、専門高校が産業界等と一体となって教育活動やカリキュラム開発を実施するモデル事業です。指定された学校は原則3年間実践研究を行います。(2024年度からは地域の状況に応じて取組を普及させる「マイスター・ハイスクール普及促進事業」を新たに展開しています。)

マイスター・ハイスクールとは、第一線で活躍する企業人・技術者・研究者等の民間人材が学校に入り、専門高校が産業界等と一体となって教育活動やカリキュラム開発を実施するモデル事業です。

この事業の運営委員会(学校設置者、産業界、地方公共団体によって設置)は、まず、事業全体を統括する「マイスター・ハイスクールCEO」を産業界の現役役職者から選任し、学校の管理職相当として配置します。また、企業の技術者や研究者を「産業実務家教員」として選任します。産業実務家教員は指定校で最先端の知識や技術の指導を行います。

大宮工業高校では地元のIT企業から前田CEOが着任し、教育課程の刷新の方向性を検討するほか、企業や大学等との連携をコーディネートしていくこととなりました。前田CEOは着任時のことを次のように話してくれました。

「多くの工業高校が地域産業の担い手育成を掲げる中で、大宮工業高校は生徒育成の考え方として『日本を支え世界で活躍する人間性豊かなエンジニア』を掲げています。これは大きく出たなと思いました。埼玉県は日本有数の産業をいくつも抱える地域です。こういう気概で生徒を育てないといけないのだろうと、地域の工業高校に留まらず、世界に打って出るエンジニアの育成を名実ともに目指しました」

研究者指導のもと課題解決授業

そこで実現した授業の中で特徴的なものがいくつかあります。ひとつは、産業実務家教員による「暑さ指数の計測」に関する授業です。

埼玉県における高温の出現状況の統計的解析、モニタリング技術に関する研究

生徒たちが設定した「地球温暖化問題に関する研究」というテーマを受けて、埼玉県環境科学国際センターに協力を依頼。同センターの大和広明先生(博士)を産業実務家教員として毎週行われる課題研究の授業に招きました。生徒たちは金属3Dプリンター等を駆使して暑さ指数の測定装置を製作し、県内の工業高校20ヵ所に設置。埼玉県全域の暑さ指数を算出したほか、このビッグデータの活用方法を生徒たちで考え、環境問題に対する方策を検討しました。

ALS患者向け装置の共同開発依頼

外部からの要望に応える形で始まったプロジェクトもあります。埼玉県の熊谷保健所から、ALS患者のための意思伝達装置の共同開発の提案がありました。
ALSとは筋肉が徐々に萎縮し、最終的には声を出すことや体を動かすことが難しくなる難病で、日本ALS協会によれば全国で約1万人の患者がいると推定されています。患者は手足や顔の一部などのわずかな動きで意思を伝達することのできる装置を必要としますが、市販の装置が適さない場合は自作の必要に迫られます。一般家庭で回路を使用した装置の自作は困難です。そこで、大宮工業高校に相談が持ち込まれました。

ALS患者用意思伝達スイッチ

この課題解決授業では熊谷保健所の技師を産業実務家教員として迎えるとともに他校の福祉科の先生にお願いをして、「福祉とは何か」から、ALSの症状や意思伝達装置の仕組み、ユニバーサルデザインについて授業を行ってもらいました。その後、生徒の試作品を実際に使ってもらい、ALS患者とその家族、保健師たちから意見と感想を受けます。試作、フィードバック、改善方法を考えることの繰り返しが、この授業を有意義なものにしました。

授業風景

最終ユーザーの「もっと丈夫でないと」「スイッチは無線がいい」などの現実的で率直な要望に対して、生徒たちはプロの卵として認めてくれたと嬉しさを感じ、期待に応える形で熱心に改良に取り組みました。高校生が最終ユーザーからの要望に直接応える形で物作りに携わることのできた貴重な機会となりました。

「生徒たちは、それまであまり意識することのなかったALS患者の方に対して自分にできることは何だろうと、この授業を通してよく考えてくれました。『誰かの役に立つことができてよかった』という実感の声が印象に残っています」と担当の池田先生は振り返ります。

学校、地域、企業の協力活性化

環境と福祉に関する社会課題解決型の授業の一端を紹介しましたが、「このような大きな動きにつながりましたが、私が主導したわけではありません」と前田CEO。
「もともと、先生方にはこうした取組をやりたい気持ちがあったのですが、やってもいいのだろうかという逡巡があったのだと思います。私は、マイスター・ハイスクール指定校なのだから、実験的なことをどんどんやろう、新しいことをやろうよ、と周りに協力を仰いだだけです。失敗しても実験だから大丈夫だと。すると、最初は遠巻きに見ていた先生方も『こんなことをやってみたい』と打ち明けてくれ、『いいね、やろう!』と応じて次々に実現していきました。私が直接依頼したケースもありますが、多くは学校の管理職や先生方が進めてくれたのです」

このようにして外部団体と関係を深めていく中で、やがて企業から「今度はこういう授業をしませんか」「こういう技術があるのですが生徒さんに如何ですか」と提案を受けることが増えてきたといいます。

「それだけ、『教え甲斐』ある生徒だと認められたのだと思います。教えた分だけ生徒に響いているのが産業実務家教員に伝わっているのです」と前田CEOは話してくれました。

先生たちの力で持続可能な体制に

「産業実務家教員から直接指導いただくことで、新たな産業にも携わることのできる生徒たちの育成に努めてきました。生産管理や品質管理など、学校の先生にもなかなか経験がなく授業で取り扱うことが難しい内容も、産業実務家教員が事例を踏まえてお話くださることは非常に貴重です」と話してくれたのは野辺教頭先生です。

「ただし、産業実務家教員の指導に頼るだけでは継続性がありません。本校の先生たちも生徒たちと一緒になって産業実務家教員から指導いただき、自走して学びを伝えられる仕組みを作ってきました

RPA の活用実習授業

RPA(ロボットによる業務自動化)の習得・活用の実習では、前田CEOの所属企業からインストラクターを産業実務家教員として招きました。すると、産業実務家教員の授業を聞いていた学校の先生が、その翌日に別のクラスで自ら同じ内容を教えることを提案したといいます。前田CEOは驚いて「ベテランが教えていることを次の日に受け売りで教えるなんて、できるわけない」と返しましたが、「できます」と堂々と答える先生の姿を見て考えを変え、「それなら試しにやってごらん」と任せることにしました。

「その授業を私も聞きましたが、再任用初年度の先生は10年前から知っていたような話しぶりで完璧な授業を行ってくれました。本職インストラクターの授業よりわかりやすいくらいです。学校の先生ってすごいですよ。先生の力を知りました」と前田CEO。

RPA活用実習と同様にドローンプログラムの実習授業でも、1日目は産業実務家教員と協働で、2日目は学校の先生が単独で授業を実施しました。こちらの授業は新任2年目の先生を中心に若手教員中心で行われました。

ドローンプログラムの活用実習授業

これらの授業は、上半期中に複数の先生が担当できる状態を整え、翌年度から通常授業として教育課程に組み込むことになりました。産業実務家教員による授業が先生たちの研修、研鑽の場としても機能したといえます。以前から単発的に外部講師を招くことはありましたが、この事業を通して、一度限りで終わらせずに自分たちで引き継いでいこうと先生たちの意識が変わったそうです。

地域で学校教育を考え、支えていく

大宮工業高校のマイスター・ハイスクール事業は、3年目となる今年度で終了します。次のように山﨑校長先生は振り返ります。

「この事業は工業教育のこれからを考える機会にもなりました。専門知識は知ることそれ自体が目的ではありません。その知識の活用をとおして初めて定着が図られます。専門知識がどのような文脈で活きるのか。課題解決の中で具体的に考えられることが、外部連携による授業の有効な点です。学習した知識と具体的事例が結びつくことで『こういうこともできるんじゃないか』という新たな発想が生まれたり、『私たちの学んだ技術ってすごいんですね』という実感が湧いたりします。この手応えが学ぶ意欲に結び付いていくのです」

授業風景

地域で一体となって行う学校教育を継続するために、今後は大宮工業高校を中心に、教育委員会、産業界、大学や研究機関等で作る「工業高校DX人材育成コンソーシアム」を立ち上げる予定です。

「大学は高大連携を丁寧に考えてくれていますし、企業にとっても少子化で人材不足の昨今、こうした連携が就職に繋がってほしいと考えておられると思います。生徒たちの将来のためにも、そういった関係を作っていくことは望ましいです。一緒に学校教育について考えてくれる仲間がいることを非常に心強く思っています」と校長先生は話してくれました。

次世代マイスター育成の体制確立へ向けて

10月26日、27日、「専門高校の甲子園」とも呼ばれる全国産業教育フェアが今年は栃木県宇都宮市で開催されます。農業、工業、商業、水産、家庭、看護、情報、福祉の産業教育に関する専門学科を置く高等学校等の高校生が日頃の学習成果を総合的に発表する祭典です。

第34回全国産業教育フェア栃木大会ロゴ

マイスター・ハイスクール事業の取組について、大宮工業高校の生徒たちによる発表も行われる予定です。生徒たちは発表したくてそわそわしているそうで、夏休み前からスライドを作ったり成果物を用意したりと自主的に準備を進めているとのことです。

大宮工業高校のような取組を全国で実現するためには、専門高校が教育委員会はもちろんのこと、自治体の産業振興部局、さらには地域の教育界・産業界等と連携体制を構築することや、学校・企業間の認識合わせを行い実現可能な形を作るマイスター・ハイスクールCEOのようなコーディネーターを配置することが必要です。文部科学省は、専門高校における教育をさらに充実できるよう、このような取組を引き続き支援していきます。



【埼玉県の魅力】

豊かな自然や歴史に彩られた名所が盛りだくさんの埼玉県。その魅力の一端をご紹介。

観光

鉄道博物館(さいたま市大宮区)
JR東日本創立20周年を記念し、2007年(平成19年)に「鉄道のまち」で知られる大宮に開館した。実物の車両展示、シミュレーター体験、鉄道の歴史や技術を学べる展示が豊富で、鉄道ファンや家族連れに人気の観光スポットである。(※1)

文化

蔵造りの町並み(川越市)
江戸時代の“蔵造り”から近代の洋風建築まで多様な建築様式の建物が立ち並ぶ。現在は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。中心に位置する「時の鐘」は、一日に4回時間を知らせている。(※1)

手打ちうどん(加須市)
手打ちうどん独特の作業である「足踏み」や「寝かせ」に時間をかけ、コシの強さとのどごしの良さを生み出している。江戸時代、不動岡にある總願寺の門前で参拝客に提供したことが加須の手打ちうどん屋の始まりといわれており、 300年以上の歴史がある。(※1)

人物

渋沢栄一(深谷市)
深谷市出身の実業家。 「道徳経済合一」の考えを重視し、第一国立銀行や、東京証券取引所など、約500もの企業や団体の立ち上げに関わり、民間外交にも尽力したことで、「近代日本経済の父」と呼ばれている。2024年に発行された新一万円札の肖像にも選ばれている。

※1 写真提供:(一社)埼玉県物産観光協会
※2 写真:埼玉県深谷市所蔵

埼玉県さいたま市
さいたま市は、2001年に浦和市、大宮市、与野市の合併により誕生し、2003年に政令指定都市となり、2005年には岩槻市を編入し大きな都市へ発展した。自然と都市機能が調和した暮らしやすい環境が特徴で、子育て世帯にとっても住みやすい地域である。

写真提供:(公社)さいたま観光国際協会

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